リスク?エビデンス?それがわたしと何の関係が?

ぼくの専門は疫学(えきがく)だ。
集団に対するリスクと予防対策の学問だ。

この国の人は、リスクも確率も傾向も危険性も、
全然わかっちゃいない、と思っていた。

最近ちょっと気分が変わってきた。

今日はちょっと難しい話する。

リスクって何だ?

断っておくと、
このブログは健康がテーマだから、
健康とか病気とか限定の話。

リスクは、日本語ではいろんな言い方がある。
危険性、危険度なんて言い方がある。
傾向がある、なんてものある。
なんとかという病気のかかりやすさ、ていうのもある。
その病気になる確率、という言い方もできる。

でも、言葉だとあいまいなんだよね。

あえて全部そぎ落としていえば、

リスクとは分数

小学校でならう何分の何ってやつ。

ただ、リスクは分母が、
ホールケーキとか、
まるまる一個のりんごとかじゃなくて、
たくさんの人の人数。集団。

分子は何かというと、
やっぱり人数。

なんの人数かというと、
何かの病気になった人の人数。
その人たちは分母にいる人たち。

たとえば、一学年100人子供がいるとする。
そのうちアレルギーの子供が20人いたとする。

ここからわかるのはアレルギーのリスクは
20÷100=0.2=20%

これが全部の子供にあてはまると考えると、
どんなときでも、どんな集団でも、
どんな学校でも、どんな地域でも、
リスクは20%になる。

ホントに全部の子供にあてはまるのか?

あなたはきっとおかしいと思うはず。

いろんな点で。

時と場合で違うでしょ?
場所によっても違うでしょ?
学校によっても違うでしょ?
遺伝子によっても違うでしょ?
食べ物によっても違うでしょ?
環境によっても違うでしょ?

あたり。

その感覚が正しい。

リスクを調査したときに、
その結果がどの集団にも、
誰にも彼にもあてはまるんだと考えるのは、
とても難しい。というか無理がある。

調査が全体を反映していないことはままあるのだ。

リスクを一人一人に当てはめられるのか?

そして最後の難関だ。

個人ではどう考えたらいいのか?ということ。

リスクは必ずたくさんの人を使って計算している。

その結果を一人一人に当てはめられるのか?という疑問がわく。

それにそもそも「リスク20%」って何?

一人に当てはめたら何?

五回人生をやったら、一回アレルギーになるわけ?
それとも自分がアレルギーになるのはいろいろな食べ物で、
五回に一回起きるかもしれないということ?

よくある説明は、
五人に一人はアレルギーなんですよ。
くじ引きみたいですねって。

そんなこと言われたって納得できん!

だって、もしあなたがアレルギーだったら、100%!
一分の一、1/1=1=100%でしょ?

そう思うでしょ?

だからそのリスクって意味ないような気がするわけ。

乳製品のアレルギーのリスクが~%
子宮頸がんのワクチンをうつと線維筋痛症リスクが~%
受動喫煙を受けると脳卒中になるリスクが~%

そして、

リスク~%でとても低いから安全だ。

と言われるわけ。

でも、もしあなたがなったらどうだろう。
リスクが~%で低かろうがなんだろうが、
自分がならなければ0%だけど、自分がなれば100%!

リスクは一人ひとりにとっては参考意見にしかならない。
一人一人の結末はリスクではなく、1か0だからだ。

じゃリスクって何のためにあるのか?

1か0、病気になったか、ならなかったかを、
平均してみれば、
集団で計算したリスクになる。

でも、一人一人は病気になったかならなかったかしかない。

じゃ、リスクって何のためにあるのか?
リスクの数字を使って、
こうしたほうがいい、
ああしたほうがいいって言ってるよね。

リスクは、団を健康にするための
方法を考えるときの指標なのだ。

はっきり言うと、
一人一人のためじゃないということ。

一人一人にも応用して使っているが、
本来の意味は、集団に対しての考え方だ。

乳製品の曝露を生後すぐに行うと、
集団として~~くらい乳製品アレルギーが減る。

子宮頸がんワクチンを使うと、
集団として~~くらい子宮頸がん死亡を救える。

受動喫煙の対策をきちんとすると、
集団として~~くらい脳卒中が減る。

こういうことを言っているわけだ。

誰が必要かと言えば、
保健所の医師だったり、
健康行政の責任者だったり、
政府だったりする。

一人一人の体験とリスクが相いれない点

リスクは、集団を対象にして、
集団を健康に導こうとしているので、
一人一人全員にはあてはまらない。

人の観察研究でリスクを明らかにした学術論文などを
エビデンスという。
科学的根拠ということもある。

乳製品を早くから与えたけど、
やっぱり牛乳アレルギーになっちゃった。
エビデンスなんてあてにならない。

子宮頸がんワクチンは安全というけれど、
現に線維筋痛症になっちゃったんだ。
エビデンスなんてあてにならない。

受動喫煙は危険というけど、
全然脳卒中なんてならないよ。
エビデンスなんてあてにならない。

ごっちゃにするからこういう水掛け論になる。

 

水掛け論のどちらが正しいとか間違っているというわけでない。

リスクの話は集団の健康を考えている。
体験の話は個人の健康を考えている。

どちらも一理ある。

でも、これをごちゃまぜに話すから全然会話がかみ合わない。
はては、けんかになるわけだ。

一人一人の体験を見聞きして思うこと

いままでぼくはリスクを考える世界で生きてきた。
疫学とは集団を健康に導くための学問だ。
しかし、一人一人に応用しようと思った時に、
はたして、一人一人に本当にあてはまるのか、
うすうす疑問にも思っていた。

最近、一人一人の体験を見聞きして、
一人一人に合わせた栄養素不足の是正で病気が治ることを知り、
一人一人の体験もとても重要なことなんだと感じてきた。

エビデンスで得たリスクに関することを、
すべて一律に全員に当てはめてもうまくいかないなと。

一人一人を治すには、エビデンスも参考にしつつ、
一人一人をよく観察して、試してみて修正してまた試す、
そういうアプローチが重要なんだなと。
患者さんの体験からも十分学ぶ。

これが臨床医のあるべき姿なんだろうなと。

なんだか、当たり前の結論になってしまったが、
それを心底理解してきているなと実感している。

ブログを書いていることは、
自分の振り返りにもなるんだなと、
あらためて得した気分になった。

今日は、自分の一番の得意な話題を通じて、
自分の深い振り返りという文章になった。

小難しい話かつ長文にお付き合いいただき感謝。m(__)m

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