グルテンフリーに出会うまで、ぼくは、さまよっていた

2018年2月3日

初めまして。

健康ドクターといいます。

ぼくは、北関東の北風とかかあが強い県の、
オートレースで有名な市の市民病院で生まれた、
第二次ベビーブーマーの一員。

幼少期は公営住宅で貧しい暮らしだった。
小学校の時に両親が新興住宅街に家を買い、
やっとそこそこの暮らしになった。

中学校は新設の公立マンモス校で、
一クラス40人10クラスで学年400人!
不良が荒れに荒れていた中で、
なめんな猫がはやっている中で、
必死に勉強だけしていた。

高校は県内トップクラスの公立進学男子校へ。
そこでも勉強中心の生活だった。

それでも少し青春をした。
中学校の同級生に誘われて、
見学に行ったら、
「入部だよね?」
っていうよくあるパターンで、
吹奏楽部に入った。
ずぶの素人がフルートを吹いた。
当然、全然だめだった。

ドクターを目指したきっかけは入院

高校一年の夏と、
高校二年の冬に、
二回、自然気胸で入院した。
生まれた時と同じ市民病院だ。

自然気胸は、肺の外側の薄い膜に穴が開き、
肺が膨らまなくなり息ができなくなる病気だ。
肺が、まるで、しぼんだ風船みたいになる。
それも、空気が充満したケースのなかの風船なので、
息を吹き込んでも広がらないという状態。

二回とも呼吸器内科の先生に助けてもらい、
その素晴らしさ、やさしさに感動し、
恩返しのため医学を志した。
卒業後、同県の国立大医学部に入学できた。

大学でも勉強ばかりしていた。

ちょっとばっかし軽音楽なんてやってみたが、
まともに出来てなかったな。
チューニングできていないでステージにあがっちゃったり(汗)

勉強の甲斐あって、
無事卒業し、
国家試験にも合格。
医師免許を取得した。

その頃は、
いわゆる就職氷河期で、
中学校の友人から、
就職できないという話を聞き、
医者はありがたいなと思いながら、
自分が生まれた市民病院で臨床研修をした。

高校の時に入院して、
担当してもらった先生に、
今度は研修医として指導してもらった。

最初に担当した白血病のおばあちゃんのことは、
いまでも忘れられない。
「ここでは専門家がいなくて治療できないから」とお話しすると、
「この病院で最後まで診てほしい」とおっしゃって、
数日後には亡くなられた。

どうにもならない末期がんの患者さんやご家族との会話は、
本当につらかったことを思い出す。

また、患者さんを怒らせて土下座したのも、
今となっては笑い話だ。
患者さんを笑っているわけではない。
自分が未熟だったことをだ。念のため。

研修が始まった次の月に、担当病棟で、
母方の祖父を看取ったりもした。
心臓が止まったあとに呼び出され到着したときには、
医者という立場を忘れて呆然と立ちつくしてしまった。

疫学研究とタバコ対策時代

二年間の研修のあとに進んだ大学院では、
「タバコは腰痛にわるい」
というテーマで論文を書き、
博士号を取得した。
いわゆる医学博士だ。

タバコはほとんどの病気のリスクなんだと知った。
この時はまだニコチン依存の本質には気づいていなかった。

大学院から疫学研究を始めた。
疫学研究とは、病気の原因を探り、
病気にならないようにする方法を見つける研究のことだ。

タバコや受動喫煙、
大酒飲み、
運動不足、
体重コントロール不良、
高血圧、
高コレステロール、

などが病気につながることを突き止めたのが
疫学研究だ。

もっと有名な例は、たとえば、
コレラの予防には汚れた井戸水を使わないとか、
脚気の予防には麦飯カレーだとか、
画期的に人類を救ってきた研究方法だ。

大学院を修了したあと、
某国立のがん研究所で
大腸がんの予防法の研究に携わった。

国際学術雑誌に10本の英語の論文を書かせてもらった。
とてもよい実績をもらった。
感謝感激雨あられである。

大腸がんに悪いのは、
タバコはもちろんのこと、
お酒の飲みすぎはよくないし、
体の活動量が少ないのもダメ、
太りすぎもダメ、
糖尿病もよくないというのがわかった。

教育に携わりたいという理由で、
国立研究所から北関東の母校に戻り、
大学教員として学生を指導する傍ら、
うつ病予防法の研究
セレンによるがん予防法の研究
タバコのやめさせ方の研究
に携わった。

また、学生時代の一年先輩だった小児循環器専門医の手伝いとして
臨床試験の統計コンサルにも携わった。

禁煙心理学に出会った。
衝撃的な出会いだった。
国やタバコ会社、喫煙者の影響を受けて、
タバコを吸わない人が、喫煙者に対して、
「タバコを吸わせてあげないとかわいそう」
という発想になっていることを学ぶ。

タバコは「ニコチン依存症」という薬物依存症で、
将来、がんや心臓病、脳卒中になるからダメなのではなく、
タバコだけが唯一の楽しみと感じる人生にしてしまうことが
問題であることを知る。

読むだけで止められる禁煙セラピーや
リセット禁煙に出会い衝撃を受ける。

自治体からの要請で、
子供にタバコを始めさせない教育にも着手した。
子供はとても素直だった。
子供がもつ素朴な疑問はもっともで答えられなかった。
「そんなに悪いものなのに、なんで売ってるの?」

大学の教員はものの二年でやめ、
某大手電機メーカーの産業医に転身した。
タバコのやめさせ方研究を続け、
メンタルヘルス不調対策にも携わった。

メンタルヘルス不調について、
かなり実践的に学んだ。

いまや当たり前になった、
本当のうつ病と紛らわしい、
職場不適応を起こす、
精神的に未熟な社員の面談を通じて、
メンタルヘルス不調対策の難しさを知る。

タバコのやめさせ方として、
依存症の治療法として威力を発揮する、
動機づけ面接に出会う。

動機づけ面接の繋がりで、
強迫性障害に対する、
行動療法にも出会う。
これまた衝撃的。

子供にタバコを始めさせない教育は、
大人がタバコを手放さない限り、
つじつまが合わないと悟り、
子供の教育はやめ、
タバコを世の中からなくす方向に転換する。

一方、臨床試験の統計コンサルを行っていた「つて」で、
母校の臨床試験部から臨床研究の統計相談を
受けてほしいと依頼があり、
週一回コンサルティングを引き受けた。
毎週数件のコンサルを行った。

製薬会社ドクターになる

統計スキルを使ってさらに多くの人に貢献したくて、
産業医を二年勤めた後、
製薬会社の社内ドクターに転職。

製薬会社は、
一社目三年、
二社目一年、
その後現在の三社目で現在に至る。

一社目は、糖尿病薬の普及、
二社目では、糖尿病腎症薬の開発、子宮筋腫薬の開発、
三社目では、これまた糖尿病腎症薬の開発、子供用の強迫性障害薬の開発など
に従事し、現在に至る。

一社目では相当に統計スキルを駆使した。
糖尿病治療の実際のデータを統計的に分析して、
都合10の論文を準備した。
時間切れで同僚に任せてきてしまったが、
一つの論文を除きすべて公表に至った。

また一社目の頃に、
先輩の臨床試験の結果が
論文として公表された。

試験計画と結果が評価され、
世界トップクラスの臨床雑誌に掲載された。
試験をした治療法は、
保険適応になっている。
世の中に貢献したなと思った瞬間であった。

三社目の会社で携わった強迫性障害の試験では、
以前に行動療法を学んでいた頃の知識が役に立った。
厚労省から承認をもらったとき、
やったなぁと実感した。

以上、半生を反省してみた。

You Only Live Once!

読んでわかる通り、さまよっている。
本当にさまよっている。

その時々で大博打を打っている。

ギャンブル県出身だけに、
普段、ギャンブル好きかというとそうではない。
なぜなら、人生全部がギャンブルだからだ。
これ以上わくわくドキドキするギャンブルはない。

つまり、「篠沢教授に全部!」だ(これがわかる人は同年代だ)

人生は一度きり!You only live once!

こんな与太話を最後まで読んでくれて、
ありがとうございました。

グルテンフリーに出会ってからの話も乞うご期待!